内々神社春日井市内津町

内々神社

内々神社の由来など

内々神社

内々神社は延長5年、西暦927年にまとめられた延喜式の9巻10巻神名帳に名前が記載されている由緒ある神社です。

日本武尊の伝説とも関係があると言われている神社です。

そんな春日井市にある古い由来のある神社を紹介したいと思います。

鎮座:春日井市内津町上町24

国道19号線を多治見方面に進み、春日井市の北部にあります。

東海自然歩道のコースでもある内々神社

東海自然歩道コース

高蔵寺と定光寺の間からスタートする東海自然歩道春日井コースで、弥勒山や道樹山を通りぬけ最終地一つ前の内津峠からすぐです。

内々神社社殿

内々神社社殿

上の画像は現在の内々神社です。

内々神社は平安時代の神明帳に記載されることからその時代から建立されていますが、1584年に兵火で社殿は消失しています。

現在の姿は慶長18年(西暦1613年)に建立されたものだそうです。

内々神社神社日本武尊

内々神社由来

内々神社と日本武尊の由来に関しては内々神社境内にある春日井市教育委員会の看板が設置されています。

書かれている内容は以下のものです。

景行天皇の御代、大和勢力が日本全国にのびる時に、日本武尊が登場してきます。尊は熱田の宮で、尾張の祖といわれる建稲種命に会われて、副将軍とされ、その妹宮簾姫命と婚約され、東国の平定に出られました。
平定が終わっての帰り道、尊は甲府から信州長野、美濃大井、釜戸、池田を通って尾張との国境内津峠にさしかかりました。その時大変なことが起こりました。
東海道を帰られた建稲種命が、駿河の海で水死されたことを従者の久米八腹が早馬で報せてきました。それを聞かれた尊は「あの元気な稲種が・・・」と絶句し、しばらくして「ああ現哉々々」となげかれ、その霊を祀られたのが内々神社の始めで、内々神社の前の宿場町を内津といいます。
これは内の字の下に、舟や人の集まる意味の津をつけたものです。しかし、その時祀られた場所は、ここより1km余り入った奥の院だったと思われます。
西側の街道に沿った谷川の右側に細い踏み分け道があり、それをたどったところ大きな岩座があります。見るからに恐ろしいような鉄梯子を登ると、洞窟の中にある奥の院にお参りすることが出来ます。

内々神社交通アクセスと駐車場情報

公共交通機関
JR中央線高蔵寺駅から名鉄バス内々神社でげしゃします。

駐車場は内々神社のすぐとなりに焼く20台分くらいの駐車場が用意されています。

電話(0568)88-0553(土日祝のみ)

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